武蔵野点描、ご冥福を祈ること

2021年3月25日木曜日

武蔵野

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▽死んだ人はどこにいるのだろう。そんなことを考えてしまうことがある。良く行く近所の鳩峯公園から荒幡富士の間に内野家のお墓があり、通った時にはとりあえず手を合わせてみるのだけど、ここに何があるのだろうと思ってしまう。魂というものがあるとするなら、おそらくはお墓にはない。といって、天国や地獄があるとも思ってないし、そもそも魂なんてものはない気がする。そうなると手を合わせる対象としてはやはり骨のある墓なのだろうか。

昨日、オリンピックで金メダルを獲得した柔道家が亡くなったという報道があった。53歳と若いので、まだまだ活躍できたと思うと無念であり、周りの方々も悲嘆に暮れていると思われる。

今回もそうだけど、人が亡くなった時に使われる言葉「ご冥福をお祈りします」。このフレーズを聞くたびに日本人が無宗教というのが不思議に感じる。冥福というのは言わずもがな「あの世」のことなので非常に強い宗教観のある言葉だ。おそらく多くの人は何も考えずに、便宜的に使っているのだろうけど、あまり気軽に使える言葉ではない。冥福の冥というのは良いイメージではないし、あの世なんて信じてない故人には迷惑な話だし、死んだ後に明確な行き先が宗教的にある人には不適切になってくる。私が死んだ後に冥福なんて祈られても嬉しくはない。

といってどんな言葉が適切なのだろう。ご遺族には「お悔やみ申し上げます」か、自分の気持ちとして「哀悼の意を表します」が固いけれどちょうどいい気がする。私としてはシンプルに「お疲れ様でした」と声をかけたい。

死んだ後の世界が本当にあると思っている人はどれくらいいるのだろうか。アニミズムにシンパシーを感じつつ、啓蒙思想に染まっている自分がいる。

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書いてる人 : 内野知樹

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